最近、うちの冷蔵庫にちょっとした“異変”があります。
というのも、きゅうりが、やたらと早く消えるのです。
買ったばかりのはずのきゅうりが、
「あれ?あれ?3本あったのに…」というスピード感で減っていく。
子どもたちがこっそり食べてるわけでもない。
かといって、誰かが漬物にしたわけでもない。
もちろん、人格たちも「いや今回は食べてない」と言う。(そういうの、ちゃんと申告してくる子たちです)
で、あるとき──
私はふと思ったのです。
「もしかして……これは、きゅうり自身の意志か、
もしくは……冷蔵庫に“誰か”いるのかも?」
そう思って、静かに冷蔵庫の前に立ってみたんです。
そしたら──聞こえてきました。
\ キューーーーーーーーン…… /
……高い、高いキーで、きゅうりたちがささやいている。
そう、“キューー”っていう、あの音。
彼らは確かに、何かを伝えているのです。
たとえば…
「ねぇ、僕たち、冷たすぎるよ」
「まだ誰にも出会ってないのに、もうヌルヌルし始めてるよ…」
「昨日のヨーグルト、落ちてきて踏まれた」
……そう、きゅうりたちは、“声”を持っていました。
しかも、なんと冷蔵庫の奥の方からは、別の声も。
「この配置、無理。空気、詰まってる」
「きゅうり、縦にしないとかわいそうだよ」
「まじで、きゅうりの棚に納豆入れんのやめて(怒)」
──これは…
これは完全に、「冷蔵庫の妖精たち」の声だ。
私は思いました。
ああ、うちの冷蔵庫、きっと今、プチ暴動中。
食材たちの声がちゃんと通ってない。
そして、私自身が少し、暮らしのリズムからずれてる。
この世界は、見えないけど“通じている”ことで満ちている。
私たちが何気なく置いたもの。
買ってきた野菜。
そのひとつひとつが、
ちいさな“命”として、
冷蔵庫の中でちゃんと暮らしているんですよね。
そう気づいてからというもの、
私はきゅうりを丁寧に扱うようになりました。
「今日はここに寝ててね」
「隣はトマトくんがいい?」
「うちの冷蔵庫、ちょっと雑だけど…居心地どう?」
そう話しかけながら配置をすると、
なんと、長持ちするんです。
ちょっと笑っちゃいますよね?
でも、これほんとに変わります。
「整った冷蔵庫は、台所の結界」とは、よく言ったもの。
整えすぎなくてもいいけど、声に耳を傾けることで、
日々の中に、小さな祈りが宿ってくる気がします。
ちなみに、きゅうりたちは、
まだまだ“キューーー”ってしゃべってきます。
でも最近は、その音がどこか心地いい。
まるで夏の虫の鳴き声のように、
「今日もありがとう」って言ってくれてるようで。
……さて、今日もまた、冷蔵庫の扉を開けようと思います。
きっと、誰かが小さな声で、
私に何かを伝えてくれる気がするから。
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