あるとき、ふと浮かんだ疑問。
「白ちゃん、結界って、龍にとってはどういうものなの?」
結界──それは、場を守るもの。
神社やお寺、聖域や山中、
あるいは言葉のやり取りや、人と人の間にも“目に見えない線”のように感じられることがある。
“張る”もの、“破る”もの、“抜ける”もの、
そんなふうに扱われることも多いこの言葉。
龍たちにとっては、いったいどういう存在なんだろう?
白龍ちゃんは、わたしの問いに、くるりと空をまわりながら答えてくれた。
「結界ってね、ぼくらにとっては“膜”みたいなものなんだよ〜。
薄いけど、ちゃんとある。やさしいけど、守る力がある」
「膜……?」
「うん。たとえば、空と地のあいだにも、
森と町の境目にも、海と浜辺のあいだにも、
本当はいつも“ゆらぎ”のような膜があるの。
それがね、結界って呼ばれてるものの一つの姿」
「人が“祈り”を重ねたり、“場”を整えたり、
思いを込めることで、その膜が強くなったり、はっきり見えるようになる」
「じゃあ……結界って、人がつくるものなの?」
「ううん、もともとは自然に“生まれる”ものもあるよ〜。
たとえば、山の尾根や川の流れの交わる場所。
風がうねって通る谷あい。そういうところには、
自然に“気の膜”ができてることがある」
「でも、そこに“意識”が重なると、結界になるの。
誰かが気づいて、そこを“整える”と、
その膜は“守り”としてはたらき出す」
「白ちゃんたちは、その結界を通れるの?」
「うん、通れるよ〜。
でも、ちゃんと“挨拶”をしてから通ることも多いよ。
そこに込められた人の思いが強いときは、
一礼してから入ったりする」
「龍ってね、“境目”が大好きなんだよ。
境目には、“次の世界”につながるヒントがあるから」
「なるほど、だから龍は山の尾根とか、雲の切れ目とか、よく通るんだね」
白龍ちゃんは、にこっと笑って尾をくるんと回した。
「そうそう! だから結界って、“閉じ込めたり、囲う”ためだけじゃなくて、
“整える”ためのものでもあるんだ〜」
「張ることで、守ることもできるし、
張ることで、“あっちとこっち”をはっきり分けることもできる。
それって、龍にとっては、とってもだいじなこと」
そうなんだ。
結界は、閉じ込めるためのものじゃなく、
空間を“呼吸させる”ためのしくみでもあるのか。
そこに気づくと、
日常の中にも、たくさんの結界が“自然に生まれている”ことがわかってくる。
風が変わるとき。
空気が澄むとき。
誰かが場を整えたあとの静けさ。
白龍ちゃんが、ひとこと、そっと言った。
「ぼくら龍が通るときにね、
“結界があるな〜”って気づける場所は、
その場も、『人を大事に思っている』っていう証拠なんだよ」
場所も人を大事に思う??
なんて、素敵なんだろう。
もしかすると、はるか昔から、場と人が思い合う場所。
それが今も強く残る結界の姿なのかな?と思った。
次は、「龍が通りたがる“境目”って、どんな場所?」を
白龍ちゃんにきいてみたいと思う。
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