10月ももうあと1日。
我が家には、2人の保育所に行っている子がいるんだけど、今日は2番目の子が熱でお休み。
末っ子だけ保育所の日。
「明日はお菓子をもらいにきてね〜」と先生に言われると、
一才の末っ子はにっこりして、少しおちゃらけた様子で手を振った。
帰り道は、もうすっかり暗くて、そんな中白龍ちゃんに聞いてみた。
「白ちゃん、ねぇ……明日は保育所で子どもたちのハロウィンなんだけどさ、
これってもともと海外の行事だよね? なんで仮装とかするのかな?何が意味があるの?」
わたしの問いかけに、白龍は近くの電柱をすーっとすり抜けて、となりに浮かんだ。
「うん、そうだね。たしかに西洋の文化って言われてるけど、
もっとずーっと古い“暦のうねり”から来てるよ〜」
「昔の人は、自然と宇宙のリズムにすごく敏感でね。
10月の終わりって、“境い目”の季節なんだよ。
昼が短くなって、夜が深くなって、“見えない世界”が近づいてくる」
「だから、“あちら”と“こちら”の“扉”が、ちょっとだけ開きやすくなる時期でもあるの」
「だから“お化けがくる日”って言われてるの?」
「うん。ほんとは“お化け”っていうより、“精霊の気配”が濃くなるって感じかな〜。
空気の奥行きが変わるんだよ。人間でいうと、息をふーっと吐いたあと、
次に吸うまでの“間”みたいな」
「じゃあ、怖い日じゃないの?」
「ううん、全然怖くないよ〜。
むしろ“通りすがるものに、ちゃんと挨拶する日”っていう感覚に近いかも」
「仮装するのもね、“自分じゃない何か”になってみることで、
境界を遊ぶっていう古いおまじないなんだよ
そうやって身近に“あちら”を感じて、敬意を払う。日本のお祭りも秋に多くて、光の存在に感謝をするイメージだけど、
ハロウィンは闇の精霊たちにも敬意と感謝を伝える意味があるんだよ〜」
「子どもたちが楽しむのは、すごく自然なことなんだよ〜。
あの幼い時期って、“形のないもの”と遊べる感覚が冴えてるからね〜」
末っ子は、白ちゃんが見えているのかなって思うくらい、白ちゃんの方をジィーっとみている。
小さい子には、自然とやっぱり視えているのかも。
「そういえば、日本でも“神無月”って、10月だよね?」
「そうそう、あれも面白いよね。
暦は人間が作ったものだけど、昔の暦は結構しっかり時期を当ててるよ〜
“神さまたちが集まってるから留守”って言われてるけど、
ほんとは“神さまたちが動いてる”時期ってこと」
「つまり、世界中で“エネルギーが流れ直す”時期なんだよ。
だから、“気配が揺れる”の」
白ちゃんは、本当に物知りだ、知らないことなんてないんじゃないか。
わたしは、子どもたちが楽しそうに仮装しながらお菓子をもらう様子を思い浮かべながら、
なんだか急に、“遊び”の中にある古い魔法みたいなものを感じた。
闇の存在に、「普段境界を守ってくれてありがとう。」と伝える日。
昔から人と闇の存在も、そうやって境界をお互いに分けてきたんだろうな。
「あまちゃんも、ちょっとだけでいいから
“いつもじゃない”自分をまとってごらんよ。
境界を遊ぶって、けっこう大事だよ〜」
白龍はそう言って、わたしの背中にそっと風を送ってくれた。
たしかに、10月の終わりって、
空気の奥に“なにか”がいるような、そんな気がしていたんだ。
何より、私はお祭りが好きなんだ〜!
ハロウィンは、“お化けが来る日”じゃなくて、
“世界の間がゆらぐ日”。
10月末の1日はちょっとだけ違う自分で、
過ごしてみようかな、と思った。
あなたは、どんな一面をまとって10月31日を過ごしますか?
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