「白ちゃん、地球って、ほんとうに“丸い”の?」
わたしがそう尋ねたのは、 バリ島に向かう飛行機の中から窓の外を見ていたときだった。
空と雲の境界が曖昧で、
どこからが地球で、どこまでが宇宙なのか、よくわからなくなった。
そんなとき、ふわりと隣に現れた白龍ちゃんが、
まるで散歩中のような口調で答えてくれた。
「うーん、丸いっていうより、“ゆらいでる”って感じかな〜」
「固いもんじゃないし、呼吸してるし、
ときには楕円っぽくなるし、
ふわっと広がったり、縮んだりもする」
「“生きてる球体”って言ったほうが近いかも」
「生きてる球体……?」
「そう。たとえばね、
人間が“地面”だと思ってるものも、
ほんとは“動いてる膜”みたいなもので、
地球の体の表面がぷるんと振動してるだけだったりするんだよ」
「海の流れも、空気のうごきも、
地球の“ゆらぎ”のひとつ。
ぼくたち龍は、それを“呼吸”って呼んでるの」
「でも、地図とか見ると地球って球体でしょ?
地球儀もあるし……」
「あれは“記号”としての丸さであって、
地球そのものは“きまってない”んだよ〜」
「あまちゃん、雲とか風とか、水の表面を見てごらん。
一瞬一瞬、形がちがうよね?
地球も、ほんとはそういう存在なんだよ」
わたしは、ふと思った。
「じゃあ、地球の形って、人によって違うふうに見えてるの?」
「そうそう、人によって“見え方”がちがうこともあるよ。
心の状態とか、エネルギーの波によって、
その人にとって“感じる地球”って変わってくる」
「だから、“丸く見える”人もいれば、
“なにかが歪んで見える”人もいる」
「それって、間違いじゃなくて、“その人の位置と感覚”なんだよ〜」
「その人の位置と感覚って?」
わたしがそう聞くと、白龍ちゃんは少し笑いながら、こう答えた。
「たとえばね、“地球ってこういうもの”って強く思うとね、
その人は、その“思った通りの地球”にポンって行っちゃうんだよ〜」
「地球が丸いと思えば、丸い地球に。
平たいと感じるなら、平たい地球に。
ちょっと不安定だと思うなら、ぐらぐらした地球に行くこともある」
「それくらい、“感じた世界に飛ぶ”のが人間なんだよ」
そのとき、私は思い出した。
小学校の頃、よく授業中に空想することが多い子だった私。
空想の中、私はその世界にポンって飛んじゃう感覚があった。
そこには、先生の声も届かないし、教室もなくなる。
そうして、想像の世界の中に身を投じてしまう存在が人間なんだ。
「地球もね、“ある”ってだけで、ほんとは揺らぎの存在なんだよ」
「固めようとしないで、
もっと“生きもの”として見てあげるとね、
地球はすごくよろこぶんだよ〜」
「“固めようとしない”……」
なるほどだ。
白龍ちゃんのその言葉が、
わたしの中に、じんわりと染みこんでいった。
“地球=丸い”という前提をゆるめると、 わたしたちが見ている現実そのものにも、 もっと柔らかくなれるのかもしれない。
私は、前に白龍ちゃんが言っていた、この言葉も同時に思い出していた。
「人間ってね、“地球の上に生きてる”って思ってるけど……
ほんとうは、“地球に抱っこされてる”んだよ〜」
地球が生きていると思いながら、飛行機に乗っていると
その表層の揺らぎの中を飛んでるんだ、なんて思って、なんだか胸の奥があたたかくなった。
地球は、たしかに今日も、
どこかゆらぎながら、わたしたちを包んでくれている。
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