龍と人

“がんばらないこと”が罪のように感じるとき──白龍にきいてみた

その朝、わたしはいつものように、
大きめのスケジュール帳をひらいて、
やることリストをつらつらと書き出していた。

今日やるべきこと、
今日じゃないけど気になってること、
明日にはずらせないこと──

ページの上に、文字がぎゅうぎゅうに並んでいく。

そんなとき、白龍ちゃんが、
上から顔をのぞきこんできた。

「あまちゃん、そんなにいっぱい今日するの?」

「書いてないと忘れちゃうんだよ〜。
家事とかも、ルーティンでも書いておかないと、
一日終わった後に、“何もできなかった”って、
いつも思っちゃうんだよね」

白龍ちゃんは、しばらくわたしの手元をじーっと見つめてから、
ゆるっと笑って、言った。

「書きすぎだよ〜、あまちゃん(笑)
人って、がんばりすぎだと思うな〜」

「もっとスケジュール帳、小さくしてさ、
一日に“3つ”までって決めたらいいよ」

「3つ!? そんなのじゃ足りないよ!
家事も仕事もあるし、やらないとまわらないし……」

「うん、でもそれって、
“一人でぜんぶ頑張ろう”ってしてるからじゃない?」

白龍ちゃんの声は、やさしいけど、まっすぐだった。

「“3つやったら、次の日は休む”くらいでちょうどいいよ〜」

「あまちゃんが、休むって決めるとね、
風も光も、ちゃんと“整える時間”を用意してくれるんだよ」

そんなやり取りがあって、しばらくしたある日。

その日は、なんとなく気持ちが重たかった。

特別に忙しかったわけでもないし、
誰かに何かを言われたわけでもない。

でも、なにもしない時間を過ごしているだけで、
「わたし、こんなことしてていいのかな……」
そんな罪悪感が胸の中にじわじわ広がっていた。

白龍ちゃんは、そんなわたしの頭の上にふわっと乗っかってきて、

「今日は、がんばらない日にしてるの?」

「……うん、してる……んだけど……」

「んだけど?」

「なんかさ、何かしないと、
“ちゃんとしてない”みたいな気がして……」

白龍ちゃんは、しばらく空を見上げてから、
くるくるとゆっくり宙を回りながら言った。

「あまちゃんさ、
“がんばってるときだけが、価値ある”って思ってない?」

「もしかしたら、
“止まってる=なにもしてない”って、思ってるのかも」

わたしは、その言葉にギクッとした。

何かをこなしている自分。
誰かの役に立っている自分。

そのときだけ「わたし、ちゃんとしてる」って、
どこかで感じていたかもしれない。

白龍ちゃんは、やさしく言った。

「でもね、風だって、
止まってるときも“風”なんだよ〜」

「動いてるから風なんじゃなくて、
“その場にある” とか “これから動き出す”ってことが、もうそれだけで最高なんだよ」

わたしの中にあった
“がんばってない=なにもしてない”という思い込み。

それが、
“がんばらないと罪悪感”を生む根っこだったのかもしれない。

「がんばってきた人ほどね、
“立ち止まる”のが怖くなるんだよ」

「でも、立ち止まるからこそ、
見える景色ってあるでしょ?
風が止まったときにしか聞こえない音とか、あるんだよ〜」

わたしは、その日、
やらなきゃいけないことリストを一旦閉じて、
白龍ちゃんと一緒に、家の縁側でぼーっと空を見上げた。

ただ風を感じる。
ただ、空をながめる。

それだけで、
「何者かにならなくても、わたしはここにいる」
という実感が、じわ〜っと胸の奥に広がった。

あなたにももし、
「がんばらない自分」にチクっとした気持ちが湧いてきたら、
白龍ちゃんのこの言葉を、思い出してみて。

「“ただここにいる”ってことだけで、もう十分だよ〜」

「止まることも、動けることも、どっちも生きものの素敵なところなんだから」

龍たちや見えないサポーターたちは、
今日もそっと、風と一緒にあなたを包んでくれているはずです。

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